星の欠片

メイプルストーリーとパンヤを中心に書きます。 更新頻度はそのときの気分

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涙を流して

ここのところメイポのイン時間や狩る時間が減っており

このブログも久々の更新となるわけですが・・・

少しリアルで色々ありました。センチメンタルな話というか、まあ明るい話題ではないですので見たくない方は(ry

ずっと泣くの我慢していたので、ここらで泣かせてもらおうと思います。

ちなみにものすごく長いです。俺の思い出話とかばっかりです。

身内話になりますが、よければ読んでやってください。

今週の出来事です

母方の祖父が亡くなりました

父方の祖父母は元気に実家で暮らしておりますが、母方の祖父母は本当に時々遊びに行く程度でした

小学生のころには毎年お盆と正月には泊まったりしていました

中学生になってからはほとんど行ってないように思います

高校になってからは1度くらいしか会った記憶がありません。

経験のある方は多いかもしれませんが、祖父母というのは孫にとても甘い・・・というか優しいですよね

特に母方の祖父母は、いつも一緒に暮らしていないので尚更そうでした。

遊びに行くときはいつも豪華なご飯を作ってくれました。

お菓子を用意してくれていました。

食事にも連れて行ってもらいました。

お小遣いも何度もらったか分かりません。







小学校の低学年のとき、母方の祖母が亡くなりました。

まだ60になるかならないかくらいだったと思います。

そのときは、大泣きしました。止まりませんでした。

本当に優しかった祖母でした。大好きでした。

子どもでしたが、通夜のときの情景と、火葬の前に見た祖母の顔が今でも忘れられません。

泣きに泣いて、泣きすぎて骨を拾うところには俺はいませんでした。

なぜあのとき行かなかったのかは自分でも覚えていません。しかし骨を拾うときは確かに俺は家で泣いていたと思います。






そしてこのたび、祖父が亡くなりました。

10年以上一人で生活してきた祖父ですが、脳梗塞で倒れて半身麻痺になってしまったのが今年の秋

順調に回復していたのですが、容態が急変し、お昼に亡くなったそうです。

その日の朝食も全て食べて、元気だったそうです。

祖父も、とても優しかったんです。

なぜこんなに俺たちに優しいんだろうってくらい優しかったんです。

小学校のころ、BB弾というんでしょうか、エアガンの弾がありますよね。

祖父の家の近くではそれで遊ぶ子どもが多かったらしく、道端や草むら、いたるところに落ちていました。

祖父母の家に来たら、それを集めに行くのがいつものことでした。好きだったんですね。

色々な色のものがあって、珍しい色のものを見つけたら兄と喜んでたりしました。

そんなことにも、祖父母はよくついてきてくれた記憶があります。

今思い出すだけで涙が出てしまいます

祖父一人になって、仕事もしていましたから生活が大変だと言っていました。

それでもお年玉などをいつもくれました。子どもながらに喜んでいましたね。






俺と兄は、祖父が作る味噌汁が大好きだったんですよね。

なぜかは分かりませんが、非常においしかったんです。

今でも、台所であの味噌汁を食べていた記憶は鮮明に残っています。

「じいちゃんの味噌汁はうまいだろー」と笑っていた祖父を覚えています。

お酒が好きで、父と一緒に行っているときには、父とお酒を飲みながら楽しく話していました。

母も、自分の両親は優しくて大好きだと自慢していました。






自分に対して怒りさえ沸いてきますが、最初祖父が亡くなったと聞いた時、ショックは受けたもののすぐに涙は出ませんでした。

高校になってほとんど会っていませんでしたし、大学に入ってからは一度も会っていませんでした

入院したと聞いてから、実家にいたときにもお見舞いには行かなかったんです。

まさか、こんなに早く亡くなってしまうとは思わなかった

実家にすぐ帰ることになった俺は、すごくゆっくり荷物を整理してました。

なぜそんなに落ち着いていたのか分かりません。むしろ落ち着いていたのかさえ分かりませんが

車に乗って片道4時間以上。帰る間に色々なことを思っていると、涙が出てきました。

昼間だったので、悪あがきでサングラスをつけて運転してました。涙は30分くらい止まりませんでしたが。

家に着いたころにはかなり落ち着いていて、葬儀とか終わってから時間があれば、兄貴も休みだし遊びにでも行けるといいなとか考えていたくらいです。

通夜の日、俺が家庭教師でお世話になっているいとこのご家族も既に来ていました。

母の妹さんに当たる方で、亡くなった祖父の娘ということになります。

昼に喪服を買うため、兄と出かけました。

兄とは笑い話をしたりして、とても楽しく過ごしていました。

通夜の会場に先に入って準備する間も、俺と兄は無駄にテンション高いままでした。

みんな悲しそうではありませんでした。いえ、悲しさを出さないようにしてただけですけれど。

通夜が始まって、祖父の遺影を見ていると、すごくお世話になったことなどが頭を巡って涙が出そうになりました。

さっきまでとはうってかわって、兄も涙を堪えているようでした。

ただ、今回は泣かないと強く思ってました。泣くことがいけないことだとは思っていませんでしたが、具体的には俺も理由は分かりません。

しいて言うなら、いとこの子たちがいたから・・・でしょうか。

葬儀では、多くの方がお見えになっていました。

式自体は普通に進み、最初は俺もなんてことはないって雰囲気のままでした。

喪主挨拶で俺の母が挨拶をしたとき、母は涙を堪えているのがよく分かるほどに、耐えながら挨拶をしていました。

でも、しっかりとした挨拶を、涙を堪えてやりきった母はすごいと感じ、また、その姿が悲しかった。

「小さなことにもいつもありがたいありがたいと感謝の気持ちを持っていた父でした。皆さんの支えにいつも感謝を忘れない父でした。今でも皆さんにありがとうございましたと言いたい気持ちでいると思います」

母はそう挨拶をしました。

葬儀が終わり、葬儀場と火葬場が同じ会場にあったので、火葬場に運ぶことに。

最後のお別れをしてくださいと言われ、多くの人が棺の中にお花を切っては入れていきました。

皆さん泣いておられました。

「ようやく安心できるね」

「なんでこんなに早くに・・・」

「今まで本当にありがとう」

「安らかに眠ってください」

などの声があちらこちらで聞こえました。

祖父の顔は、俺の記憶にあったものよりもはるかに頬がこけており、やせ細っていました。

優しくて元気だった祖父しか覚えていなかった俺ですが、祖父が亡くなったんだ。これが祖父なんだ。とそのとき強く実感しました。

堪えていても、涙が1,2滴流れました。必死に耐えるように上を向いたり見当違いなところを見たりしていました。

兄も同じでした
父も同じでした
いとこのお父さんも涙を堪えていました
いとこの男の子や女の子もハンカチで涙を拭いていました
母もその妹さんも、泣きながらもお別れの挨拶をしていました

母は葬儀の朝、俺にこう言いました

「お父ちゃんは本当にお母ちゃんのことが好きだったから、ようやく一緒になれてよかったのかもね。10年以上も一人で寂しく暮らしてきたんだから、安心してもよかったんかもね。」

笑顔を作った母が、ものすごく切なかった

火葬場に運び、扉が閉まり

母がボタンを押せば火葬が始まる

母も少し間を置いて、そしてボタンを押しました

火葬の間に片付けなどをしていたので、涙は収まっていましたが、骨を拾うときのあの感じは多分忘れられないと思います。







今この記事を書いている俺ですが、涙がこぼれています。

本当は涙脆いのですが、今日までまともに泣いていませんでした。

一人で思い出に浸って大泣きしたかったんです。

味噌汁のやり取り、今でも情景からセリフから覚えています。

俺たちが行くときにはいつも作ってくれました。

買い物にもよく付き合ってくれました。

いろいろなものを買ってもらいました。

俺たちは何もしていないのに
ただ遊んでいるだけなのに
お金をもらって喜んでるような何の考えもないような子どもだったのに

祖父も祖母も、いつも「来てくれてありがとう」と言ってくれました。

今となっては、どれだけのものを祖父たちにもらったのか計り知れません。

抱えきれないほどの優しさと愛情をもらったことは間違いないと思います。

俺は祖父たちに何をしてあげられたのでしょうか

もらってばかりで、何もしてあげられなかったような後悔が通夜のころからずっとあります。

母たちは、そんなことはないと言ってくれますが、俺の中ではまだ割り切れていないところがあります。

あのときお見舞いに行けばよかった
せめてもう一度お話がしたかった
大きくなった姿を見せてあげたかった

今となってはどうにもならないことばかりです。

祖母のときはまだ幼かったこともあって、純粋に悲しんでいた俺でしたが

大人になった今、色々なことが頭を巡ります。

今願いたいことは、叶わないことばかりです。

しかし、祖父が祖母と天国で仲良く幸せに過ごせることだけは願って止みません。

天国とか信じる俺ではないのですが、今はあると信じたい気持ちです。

母も言っていたとおり、10年以上も一人で生活をしてきて寂しかったと思います。

ようやく祖母のところに行けたんだなと思うと、涙が止まりません。

俺は葬儀の日、棺にお花を入れるときうまく声をかけられませんでした。

声を出してはいたのですが、しっかりと出せませんでした。泣き崩れそうだったからです。

でも祖父にはこう伝えました。

「おじいちゃん、ようやく安心できるね。おばあちゃんに会えるね。よかったね。何もしてあげられなかったけど、じいちゃんたちが天国で孫の俺たちのことを自慢できるように生きるよ。今度ある駅伝、絶対頑張るから見ててよ。本当に今までありがとう。」

冗談でも奇麗事でもなく、本当にこう伝えました。

葬儀などの都合で練習は全然できていない俺でしたが、そんなものは関係ありません。

今度の駅伝では死力を尽くします。自分の中でのけじめですが、そう誓いました。

チームのみんなが奮起できるような流れを作ってみせます。

こんなことくらいしか俺は祖父に返してあげられません。

でもせめて、何か一つくらいは祖父たちに返してあげたいのです。それが自己満足であろうと。

また、いとこの女の子も高校受験がすぐそばまで来ています。

本当によく頑張る子です。幼い弟たちの面倒を見たり、家事の手伝いをしながらも、そこらの受験生よりよっぽど勉強しています。

受けるところは、正直な話かなり厳しいところです。

その子は今回もずっと勉強していました。俺も心動かされました。あんなに頑張っている子に悲しい思いはさせたくありません。

あの子がおじいちゃんに胸を張って高校の制服を見せられるように、俺も本気で家庭教師しようと決意し、今行動中です。





今回のことは、悲しいこともたくさんありました。涙もたくさん流しました。

ですが、とても大きなエネルギーももらいました。生きてく上で大切な力をもらいました。

最後に、おじいちゃんにもう一度伝えたかった言葉



本当にありがとうございました。

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